私の課外活動の一貫で、32人の大学生とざっくばらんに話をする場が年末にありました。大学1年と2年生が20人ちょっとで後は大学3年生と4年生が半々ぐらいでした。
話の流れで、何を基準に大学を選んだのかということを聞くことができたのですが、そこで感じたことを元に今回は話をします。
証言「結局、偏差値で選びました」
偏差値は大学を比較する際のシンプルな基準です。なんだかんだ言っても偏差値は参考にしないといけないので、仕方ないのでしょう。しかし、偏差値で選ぶのも大事な指標ですが、困ったものだと思ったのは、こういう証言をした大学生の中にこの大学では4年間はどう過ごすことになるのかということをあまり調べずにいた人がいたことです。
偏差値はあくまでも入学する時の入り口の指標です。
この大学で4年間を過ごすと、自分はどういう成長ができるのか、どういう未来を作ることができるのかをまったく考えずに、偏差値が高い=自分はすごいだろうという図式で選択していないか注意してください。
証言「ブランド力で選びました」
東京周辺だと国公立大学、早慶、GMARCH、日東駒専という愛称でくくることが保護者の世代では当たり前でしたので、家でもブランド重視の話がされているのでしょう。結局、耳慣れた名前か、よく知られている大学を選んでいる人は少なからずいました。
よい大学=ブランド力の高い大学というのは、大きな間違いです。入った後にどう行動するか、自分を活かす場があるかを見つめて下さい。
証言「就職支援がよさそうだから選びました」
まず就職は支援されるものではなく、自ら動くものという大前提があります。そして、就職が目的で大学に行くのは間違っているということも押さえておいてほしいと思います。
就職で本人もまわりも大成功になったということを心から思っている大学生は、4年間で人として力をつけているものです。学ぶ場、成長する場が大学です。一緒に仕事がしたいと採用側から思ってもらえるような充実した大学生活が送れるのかで選択すべきです。
証言「面倒見がよいので選びました」
最近は面倒見がよいことをアピールする大学が増えています。
逆に言うと、面倒見がよくないと大学生活がおかしくなっていく学生が増えたということだと思います。いつまでも手取り足取りの支援があるというのは成長のさまたげになります。
前回、「自分で決めて行動することの大切さ」を伝えましたが、自分事としてどう行動したらよいかを考えるための学びの場を提供するのは大事ですが、面倒見がよいのは逆効果です。社会に出た時に、言われないと行動できない人は企業側は求めていません。自律した行動ができるようにするための面倒見のよさは大歓迎ですが、それは仕組みとして構築されていることが多いので、面倒見のよさをうたう大学は面倒をみないと成長しない学生ばかりだからそうしているのかもしれません。
証言「自宅から比較的近いので選びました」
これはそもそも何を求めて大学に行っているのか、根本的な心がけができていないと思います。芸術系の大学のように夜遅くまで、終電近くまで創作活動をする必用があり、たまたま自宅から近いならよいのですが、そうでなければ近いというのは弊害のほうが実は多いものです。とことん学ぶために、近くに自分の住まいを移動させるというのが正しいことです。
高校生活の延長にしてしまう気持ちが残ったままで、短縮された通学時間を睡眠に使ってしまうというとてももったいない生活になりかねません。大学受験までは適切な睡眠時間が必用ですが、大学生活は時には眠る時間を削ってでも打ち込むものがあるべきです。
今週の話はこれでおしまいです。
3月に再度、高校生を集めたセミナーを実施しますが、次のセミナーは受験勉強の方法を取り上げます。日程は今月末にはお手紙を用意してお知らせします。